001:変質していった江戸川区の学童クラブ 〜9年間の体験を通して〜

変質していった江戸川区の学童クラブ

私は学童クラブの最も良かった時期から、すくすくスクールへの移行期までを3人の子供を通して知っている母親です。第1子は2002年(H14)、2003年(H15)、2004年(H16)、第2子は2006年(平成18)、2007年(H19) 、2008年(H20)年、第3子は平成2008年(H20)、2009年(H21) 、2010年(H22)と、それぞれ3年間ずつ通わせました。

■1 従来型の「学童クラブ」で育まれていたものとは

2003年までは、江戸川区内の学童クラブはすべてが「従来型」で、学校併設型あり、他にも保育園併設、児童館併設、単独建物など様々な場所で実施されていました。共通していたのは、どこの学童クラブも必ずキッチンがついていたということです。そしてその場所の広さにふさわしい定員があり、おおむね子ども20人に正規指導員(区職員)が一人は配置されていました。

第1子は、家のそばの児童館併設に通っていました。児童館の中に学童専用の部屋がありそこに自分のランドセル置場があり、そこでおやつを食べていました。遊び場は児童館の中であれば自由に移動できましたので、バラエティーにとんでいました。

おやつは希望制ではなく全員等しく提供され、1,700円の実費徴収でした。低学年のうちは午後3時半の提供で、班ごとに配膳をして、ちゃんといただきます、ごちそうさまと挨拶をしていただいていました。

長いお休みには、児童館を出て、近くの土手に遊びにいったり、土手でつんできたヨモギを使ってヨモギ饅頭を手作りしたり、スイートポテトを作ったりと、本当に家庭的な雰囲気で異年齢が兄弟のように育っていました。それも家庭に不可欠なキッチンがあったから実現できたものと思います。指導員の先生は子どもたち一人一人を見ながら、互いの仲間意識を育てようと努力されていました。

今ではどこもやっていないでしょうが、「入室式」があり、新入生は上の学年のお兄さんやお姉さんに温かく迎えられ、「卒室式」では、下の学年の子がお兄さん、お姉さんを送りだす。さまざまな学童独自行事が定期的に開かれ、月1回はおやつの時間にお誕生会が開かれていました。働く親を持ち、ある意味「ここに来ざるを得ない」子どもたちが、「ここに自然と来たい」と思えるように、さまざまな工夫、配慮がされていました。

■2 そこでは、親同士の絆、指導員との絆が育まれていた

当時を思い起こし、何より私が感じるのは、今のすくすくスクールではほとんど見られなくなった親同士の絆が育まれていたことです。父母会を通じて学童クラブの場を離れ、年に何回か親子交流会を開き、そこでさまざまな子どもたちの様子を親同士が共有し、悩みを話し、共感したり励ましたりということがありました。

父母会がない学童クラブでも、今より指導員がゆったりしていたために、お迎えの時などに子供の様子を伝えてくれることが多かったと思います。私などある時、いつもより早く学童クラブにいったら、指導員の先生がお茶を出してくれたんですよ。子供たちからおやつを取り上げた今の学童クラブでは考えられませんが、親も含めて丸ごと受け止めてくれる温かい雰囲気がありました。

3 変質…調理スペース、そして食べる“場所”が消えた。おやつの時間は、どんどん遅くなっていった

かつてのおやつ 第2子の時には、すでに全学校で「すくすくスクール」がスタートしており、従来型学童はすべて廃止されていました。この時点でもともと学校併設学童だった場所にはキッチンが残っていますが、それ以外ではキッチンがない学童がスタート、おやつも希望制になってしまいました。

わが子の学童にもキッチンはなく、かつてのような手作りおやつは望むべくもありませんでした。ただあまりに市販の袋菓子が多かったため、指導員にお願いして果物やヨーグルトやおにぎりなどお腹にたまるものを、と要望した記憶があります。

食べる場所も、床にそのまま座るのがかわいそうだと思い、お願いしたら江戸川区からマットを提供してもらえたのか、その後はそれを敷いて食べていました。ただ果物は洗ったり切ったりの作業が人手不足で難しいとのことで、ごくたまにしか出してもらえなかったようです。指導員によっては、江戸川区から配給されないので善意で自宅の電子レンジを持ち込み、温かいものを提供してくれる人もいました。この時は、おやつはまだ低学年なら午後3時半に提供されていたと思います。

すくすくスクールに一体化されたことで、学童独自行事はほとんどの学童で実施されなくなりました。うちの学童では父母会を存続させたので、指導員にお願いして親子で参加できる独自行事を年1回くらい実施してもらいましたが、それも1年でなしになってしまいました。学童独自の入室式も卒室式もなし。すべて行事はすくすくスクールで事足りるとして、その段階で学童機能は、自分専用のランドセル・上履き置場、連絡ノート、午後5時から6時の預かり、学童専用のおたより、そして重要なおやつに絞られました。

第2子から第3子にかけて、おやつの時間がじょじょに後ろにずらされていきました。第3子の最後には午後4時半になっていましたが、かろうじて午後5時よりは前でしたので、午後5時帰りのわが子はおやつを楽しみにしていました。

ほかの小学校の学童がどうだったかわかりませんが、たぶん午後5時のおやつが定着したのは、平成23年以降ではないでしょうか? うちの子が卒室してしまっていたので、時間をずらされたことを知りませんでした。大半の子は午後5時に帰るので、この段階でおやつ希望者は激減したものと思われます。

■4 変質……連絡帳の形骸化、お便り回数低下、指導員との信頼関係の低下。

学童機能は、第2子の時とほぼ変わりませんが、あきらかに質が落ちていきました。連絡ノートは書いても通じないことも多くなり、おたよりの回数も減り(個々の指導員の資質にもよるのでしょうが)、たぶん指導員はお迎えに行かない私の顔と名前も一致していないだろうな、と感じさせるものがありました。

第1子の時に「お母さんもお仕事大変ね」と言ってお茶を出してくれた指導員の姿はそこにはなく、こちらが逆に「正規指導員も減らされて大変ですよね」と気を遣うようになりました。

第2子の時には、お互いに「この状況が良くない」という前提で、できる範囲の改善点を話すことができましたが、第3子の時には、すでにこの悪い状況(私から見たら)が「当たり前」になっており、改善点を話し合うという空気は全く作れませんでした。「(働く親の子としての)学童の子」というより、単にすくすくスクールに「一般児童より長くこの場所にいるだけの子」という程度の扱いしかされていないのを感じました

5 バラ色に描かれた、すくすくスクールの「学童クラブ」。実は真逆の方向へ

第1子の時にすくすくスクール化への話が出て、学童保育連絡協議会として区に質問書を出したり、説明会を開いてもらったり、今の形の全児童放課後事業への統合はやめてほしいという陳情書を出したりしました。その時に、江戸川区の説明では、今までの学童クラブとなんら変わりない、むしろ定員はなくなり6年生まで預けられるようになり(それまでは3年生までだった)、サービスは向上すると言っていました。

当然学童の独自色が薄れることが心配されたのですが、学童独自行事も続ける、学校の外に遊びに行くこともできる、学校中が使える、ランチルームや保健室も使えるなど、江戸川区は新しい学童クラブをバラ色に描きました。

確かにそれにふさわしい区職員の人員配置がされれば、ある程度のきめ細かさを残して全児童放課後事業への一体化もできたかもしれません。しかし逆に江戸川区は正規職員を10年以上採用されず、非常勤だけのすくすくスクールが次々と生まれ、さまざまな取り組みが廃止され、子どもたち一人一人を見る目は薄れていきました。

それでも、現場の良心ある指導員が、必死に子どもたちを守ろうとしてくれていたことを忘れません。しかしどんなに良心ややる気のある指導員でも、100人以上の児童を毎日見る中でへとへとになり、すくすくスクール全体の運営を任され、学童の独自機能を残すことが大変困難な状況に陥れられたのは事実です。さらに、心ある指導員が学童クラブとして創意工夫することを、江戸川区から妨げられた事実もありました。

それでも平成24年度までは、おやつ(補食)があったから、まだ学童クラブと言えたのです。それ以前、すでにおやつが希望制になった段階で、さらに午後5時の提供になった段階で、おやつ廃止への道は、予定されていたと言えるでしょう。

希望制ではだめ、午後5時ではだめと、もっと早くに意見を言うべきでした。おやつが廃止になった今年、やっぱりおかしい、これは学童クラブとは言えないと思う親が大勢いる以上、子どもたちが切ない思いをしている以上、何とかおやつ復活のために活動を続けていきたいと思っています。

(まさかの母:2013/11/01記)

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